VOL.138 蠍座満月が近ずく
https://www.youtube.com/watch?v=mHY8rLS8aTI&list=RDH7YFztu56NM&index=3
今夜は日曜日。(そして日付けが変わり現在月曜日)
今日のデートは優しくて甘くてとても素敵でした。
沢山の愛を喜びと共に受け取りました。
私も貴方のその心と純粋性に応えるでしょう。
最近は多くの愛と喜びを受け取ること
愛されること
愛すること
無償で与える事に
なんの抵抗も執着もありません。
小川の清らかな流れの如くです。
これが本来の愛の循環なのだなぁと感じます。
とても自然体で
とても心地が良いです。
ここで私が呼ぶデートとは3次元の物質次元のものではありません。
これは私の事実ですが
多くの皆様には非現実的な幻想の世界の出来事です。
何故ならばそれは目には見えない
姿も形も音も香りもない誰もいない
エネルギーとエネルギーだけの交流だからです。
ただそれだけだからです。
しかし逆を言えば
私はそこにこそ生きている
ただのエネルギーと言えます。
私の亡き父は
5月の蠍座満月に生まれ
2003年4月23日に病死しました。
その年
父が亡くなる約1か月前に
息子は3月17日にソウルで生まれました。
息子の元々の出産予定日は4月23日でした。
息子は少し早く生まれたので小さめの赤ちゃんでした。
3千グラムあったので未熟児ではありませんが
韓国では5キロの赤ちゃんが平均体重なので
口々にちいさいね!とみんなから言われました。
しかしその分私は楽に産めたと思っていて息子に感謝しています。
と言っても帝王切開で産みましたが。。。
私は基本的に妊娠に不適切な体質らしく
つわりが妊娠中ずっと激しかったです。
韓国で出産した病院の医師の説明を聞き”そんなことがあることに驚きました”
それはどうーゆーことかと言えば
私は妊娠は正常にでき胎児も順調に母体で育つのですが
私自身の肉体の内部が、恐らくDNAレベルで
妊娠に対しそれを異常事態と捉えるようです。
そのため激しく体内がざわめきだし
嘔吐、肉体疲労、めまいなどのつわりが
非常に激しくなる体質であると言う医師の説明でした。
ですからもし5キロで息子が生まれることになれば
私は彼を産めるかどうかわからず
或いは産後の肥立ちが悪かったかもしれず
彼は死産で産まれてきたかもしれなかったと言うことです。
とにかく息子は私の出産を楽にしてくれたことに変りはありません。
それでも私は難産でした。
2日以上陣痛が続きそれでも息子は出で来れず
私は陣痛の痛みとそれによる体力の激しい消耗で
このまま死ぬかもしれないと本気で思いました。
韓国は子供が生まれるに際して
双方の家族は非常に喜び
病室は常に人で一杯で賑やかだそうです。
しかし私の病室は私ひとり(個室にしてもらいました)で
誰もいませんでした。主人も仕事が忙しく病院にはいませんでした。
私は主人と主人の家族や親戚のことを考え
私は花嫁なので主人の家族がいる国で産むべきだと決心しました。
私はただ純粋にそう考えそれを実行するにあたり
韓国の家族の協力と夫の協力体制を事前に願い出てサポートの約束を交わしました。
しかし約束は守られませんでした。
みんな自分のことが忙し過ぎてできませんでした。
それは私には予想外のことでした。
全てのひとは自分のことと自分の仕事が忙しく
花嫁と赤ちゃんは簡単に捨てられました。
私は悲しんでいる暇はありませんでした。
現実は待ってくれません。
私が気絶すれば赤ちゃんは生まれない。
つまり死産です。
もう帝王切開しかありませんでした。
とにかくそのような誰もいなく私はひとりきりで戦い
体力を使いはたし死にそうな状態にありました。
その時私は未だ韓国語が殆ど喋れませんでした。
陣痛のあまりの痛さと苦しみで気絶しそうになりながら
なんとか目を開けて気絶をまぬがれていました。
陣痛が始まると猛烈な痛みはその瞬間から
赤ちゃんが生まれるまでノンストップです。
つまり痛みで体力は消耗しながら
丸2日間寝ていないわけです。
勿論食事も痛くてできません。
疲れと痛すぎで声も出ませんでした。
ただ苦しむだけでした。
そして2日目に主治医が帝王切開を判断しました。
もっと早くそうして欲しかった!
そうしたらあんなに無駄に苦しまずに済んだのに!
しかし医師は医師でぎりぎりまで私を尊重してくれた良い医師でした。
主治医が私のお腹を開いて見たら
息子はへその緒にぐるぐる巻きになり
彼も死と向かい合っていたと言うことでした。
母体も胎児も危ういところだったと言うことです。
死なずにすんだからよかったですが危ないところでした。。。
まあこのように早く生まれてくれてもこんなに大変だったので
彼がもっと大きく育っていたら
もっと事態は悪化していたと言うことでした。
ですから子供とは
無意識に常に自分より親を優先し愛しているのです。
だからこの世に生れてから大きくなるにつれて
今度は反対に親に愛を求めるのかもしれません。
それが必要なくなる日まで。
しかしそれによって親は子供に教育されます。
つまり子供が親を育ててくれていると言えます。
父は結局
自分の孫を一度も見ず、最期に私に会うことなくこの世を去りました。
桜が満開の中、静かに日本で1人で亡くなりました。
しかしその父を最近私は何かにつけて非常に近くに感じます。
私は父に導かれこれまでにない体験を今しています。
しかしそれはプレリュードで
これから更に新しい扉の向こうに私は行くでしょう。
それが私にはわかります。
エネルギーとはそのようなものです。
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