VOL.159 結婚のトリック

(注意:超長文)

私は結婚しているが

夫は男にしては珍しい?

酒、たばこ、ギャンブル、浮気に興味がない男性。

それは結婚前から今も変わらない。

彼は静かで柔和な性格。

仕事が好き

勉強が好き

興味がある事は勉強。

常に自分のために静かに勉強をしていたいタイプ。

趣味は読書と語学の研究だ。

私は彼を学者、研究者的なひとだと思っている。




ーーー

私は子供のころから

いろんな役員に推薦されたり

または立候補してきた。




それは結婚後もここ韓国で続いた。

息子の学校の役員は勿論何回もした。

その他にも韓国の日本人会の婦人会役員を長くした。




日本人会とは、日本の財閥大手企業が90%出資の日本人家族の為の社交場だ。

自社の世界の駐在員たちの為に設立された。つまり商社マン達の家族のためのクラブ。

現在は日本政府の外務大臣などのいわゆる在韓領事館職員やNHK駐在員記者などの家族も

ここへ所属する。そして日本人学校の家族も全員このクラブへ加入しなければならない。

息子は小学部1年生から日本語と韓国語の文化と言語を学習するために日本人学校へ入学している。




私はこの日本人会の役員や様々な役割を長く請け負った。

そのため婦人会役員トップの在韓日本大使夫人と

役員(任期が約3~5年)を長くご一緒した。

彼女たちはいわるゆる駐在員妻なので(大使夫人も)

任期が終わると次の国へ去る。

そして私は次の大使夫人をお迎えしまた役員をご一緒した。




そして私はこの時期にこれらの極上のいい女達により良く育てられた。

それは今から思えば宇宙のギフトだった。

彼女達は容姿端麗、ファッションセンス抜群!優秀な語学力!素晴らしい審美眼を持つ。

教養、学歴、知識が高く、礼儀作法も完璧でコミュニケーション能力も高い!

何よりも魅力あふれるそれぞれの美しく輝く個性が私を完璧に魅了した。

そして優しくたおやかでしなやかで優雅だった。

不思議に我儘な大使夫人はひとりもいなかった。

本当に菩薩の様に思いやりと慈悲に溢れていた。




この何年間も続いた役員時代の期間は

私はある意味、彼女たちからの恩恵を無償で賜わった。

感謝しなければならない。




私が何故役員になったのか?は

ある大手財閥企業ご婦人の推薦がきっかけなのだが

そもそも私と言う存在は

在韓日本人会からみれば韓国へ花嫁に来た日本人。

韓国に住んでいる韓国人の夫を持つ日本人なので

重宝な対象だった。其の当時2000年初期はそんな時代だった。

私はつまり、日本と韓国の真ん中に立つ人物だった。

婦人会役員として両国のハーモニー係のようなことが私の任務だった。




役員とは大使夫人、大手財閥企業社長夫人など。勿論これは無償のボランティアだ。

現実的な婦人会役員としてのお仕事(5人ほどいる)は

日韓友好に役立つことをしていくことだった。

多くはイベントを企画しそれを日韓友好のために実行し開催した。

とても楽しかった。

このころのノウハウが今の私に生かされている。




前置きが長くなったが、ある日

その役員のお仕事終了後のお茶タイムに旦那様討論会となった。

在韓大使夫人に仕える大手企業の駐在員旦那様の花嫁である

韓国人の大先輩から

貴方の旦那さんどんなひと?

と聞かれたので前述した内容を普通に話した。

すると




”無し!と思っているだけじゃない?

実はあなたが気がついていないだけじゃない?”

と男性のことに詳しい年上のお姉様は私を心配し忌憚なく意見した。




そうかな?

いや、

その審議は私にとってどうでもいい。

実際、私はその被害を被っていないし

現実にそれはないのだから。

この件についてはそれで充分だ。




お姉達へ、有り難いアドバイスへのお礼を言って

私はさっさとその時空から抜け出した。

お仕事では次の日も一緒になるけれどお茶の席なので。




複雑を作りそうな環境からはできるだけ素早く抜け出すが賢明。

そこに滞在したのなら居てもいいけれどね。




エネルギーは常に動く。

そしてそれは感じることができるし

見えるし

聞こえる

それを無視しないことが大切。

修正は常に可能。

でもできるだけ早くにね!

臭いにおいの中にずっといると

臭いな厭だなとわかっていても

それに慣れて、最初の頃よりも気にならなくなるでしょ?




話を元に戻すね。

夫は自ら食事の支度をよくする(料理は上手くはない!笑)

皿洗いもする。

ゴミ出しもする。私にはさせない。

食料品の買い物は全面的に手伝ってくれる。

私が腰が痛い!と言うので掃除は夫が毎日掃除機がけをする。

自分たちが使うバストイレの掃除は自分でする。

洗濯は好きではないようだが頼めばできる。




しかし子供のケアは中学まで全くしなかった。

早くに父親が病死した夫は子供の扱い方が判らなかったようだ。

息子を愛していない。と言うわけではなかった。今は私より息子命だ。




当時の夫は現実的には全く息子にタッチしなかった。

夫は優しい善良なひとだが仕事が大好きだった。

そして自分が大好き。勉強が大好きだった。

これは結婚前から私は知っていたし

仕事が忙しい事、今後はもっと忙しくなるであろうことを承知して結婚した。

そして何よりも夫は私が大好きだった。それはよくわかったので

私が夫を助けることが必要だと思い、私はこの時これを乗り越えた。




当時の夫は子供は小さい時はうるさいので厭だったらしい。

夫は煩わしい事やうるさいのが猛烈にだめらしい。

子供が生まれ暫くしてからそれは判明した。

結婚は難しいね。




その理由から子どもは中学生までは私1人で育てた。

しかしこれに対して今後もこのままでいいとも言ってられない。

自分は一生このままで幸せかどうか?自問自答した。

まだ幾分若かったので答えはすぐ出た。

私は自分の人生を自由に作りたい!もっと幸せになりたい!

そう一瞬強く思った。2015年。




2013年ころ、私の母の認知症の疑いが発覚した。

ひとり暮らしの母の認知症は段々進む傾向にあった。

私は2014年からなんとかそれを食い止めたくて

スピを学びだした。




母のケアの必要もあった為

前述の夫に対する考えを根底に2015年から

夫と別居し私は日本でスピ界の道を本格的に進んだ。

その私の心の本音は母へ話し了解を得ている。




この件は当時はまだ友達にも誰にも言えなかった。

私の現実はどうなるか?私はどうしたいのか?私はどうなるのか?

私は全くそれら全てを想像できなかったからだ。

でも今やらなければ!とハートから強く思い、やりたいことを実行した。

お金も何もないけれど身体ひとつでそれをした。




そして泣きごとや愚痴は母以外には言いたくなかった。

もともとそれを言ってストレス解消できない事を

私は小さな子供のころから理解していた。それは魂からの伝達

人間界は不平不満を言わない人は危ないよ!とか

それはよくない!

と言うカウンセラーさんやヒ―ラ―さんがいるけれど

それは自分自身がどういう状態に今あるか知らないひとの為の処置だ。

吐き出す行為は自分で自分の状態を反復する手段なのだ。




私は5歳の時にこの人類の間違ったストレス解消法を

母親達の立ち話しから得て、それは間違っていると非常に困惑した。

そして人間界の法則みたいなものを自分が見よう見まねで試す時

私はいつもブルーになった。

つまり愚痴などは、言えば言うほど厭な気分になった。

厭な事、悲しいことはやはりその感情の根源を癒すしかない。

いまでもそう思っている。そしてそれは正しかった。




ちいさいころは厭だなと感じることは殆どなかった。満たされないことは他で補った。

それで充分幸せを得た。手に入らないものはあきらめるというより、そうなんだね。と自然に考えた。そしてその瞬間に愛を送ったと思う。私は子供のころから引き寄せは使わなかった。すると想像できないような驚くような奇跡が感動を連れていつもやって来た。そしてそれを1人占めせず必ず母親や父親や弟や友達にあげた。するともっと良いものが来た。それは2歳のころから私は知っていた。いまよりはるかに私は智慧があった。




誰かに悩みを打ち明けることを悪いことだと私は考えない。

しかし友達は次の日からそのトピックについて、秘密の共犯者のように永遠に語るのが私には耳が痛い。そして仲間がいれば1人に話すとあっと言う間に10人に知れ渡る。




私は自分の醜い現実を知られるのが嫌なのではなく、それを繰り返し話す波動が厭なのだ。自分の話題なのでそれについて聞き質問に応えなければならなかった。それをまたはいちいち心を込めて説明し心配させないように誰かを配慮し続けるエネルギーがその時の私にはなかった。エネルギーに溢れていればあまり全ては問題にならない。私は自分自身には繋がっていた。ハイヤーセルフにも繋がっていた。しかし肉体的精神的に健康ではなかった。全ては衰弱していた。それは自覚していた。




そして止まった時間のグレイまたはダークな話題に

花を咲かせることが嬉しくないのだ。

その現実をあちこちに私は創りたくない。

創るのは喜びや感動やワクワクでいいと思っている。

そしてそんなことに私は泣くよりも

自分が経済的に自立することが先だと思っていた。




これは凄いスピードで進行した。

物凄い行動力だった。

自分でもびっくりした。

母の介護して子供のケアもして自分もヒーリングのお仕事を少しずつ始めた。

そしてスピの勉強を猛烈に頑張った。




しかし

これはこの時期の私の運命ではなかった。

正確に言えばこの時私は私の命題を生きた。

つまり運命の時期が違ったのだ。




ガンガン自然に進んだのは私がそれを無心でするから宇宙が応援しただけだ。

もっと言えば宿命であるスピに私は目覚めたので

私はそれを運命より早く理解し引き寄せてしまったのだ。




自分の未来と自分は私が創造する!

と自分に誓ったのでそのパワーは凄かった!

自分でも信じられない程!

思ったことはたちまち具現化した

そして願ったことを私はすぐ実行した。

そして私は前進した。つまり多くのスピのツールを自分のものとした。

私は良い正確な正しい知識と技能を素晴らしい先生から伝授してもらい習得した。

がしかし。。。




私は魂の青写真の計画へ引き戻された。

この時私は猛烈に反発した。

反発すればするほど息子と母の現実は悪くなった。

彼らの健康と精神状態は悪くなった。

私は悲しかった。私自身はとても幸せだったのに。

私は良くなり前進していたのに。

その時私は身体も心もまるで学生時代の様に軽かった。




しかしその状態は長く続かなかった。

私は母と息子が創る現実に疲れて来た。

肉体も精神も消耗して行った。

何かが変だ!




私は幸せでガンガン前進しているのに!

私はこの時、生まれて初めて幸せだった。

自由で伸び伸びしていて好きなことをし本当に幸せだった。

今もそう思っている。

でも私の現実の周りのひとが悪くなるのは

何故なんだろう?この時の私にはその理由がわからなかった。




そうこうしているうちに韓国では

息子も嫁も帰ってい来ないので、夫は仕事の忙しさで倒れた。

彼は私と息子を愛していて離婚なんて全く考えなかった。

寧ろ息子を巡って強く離婚しない決意でいたようだ。




同時期、日本では何故か息子と母の関係が抒情に最悪になっていった。

その時息子は日本の学校生活でいじめに合い鬱になっていた。

息子は私が心配すると思い私に言わずにいた。

私には良い息子、明るいふりをして見せた。




母は認知症。買い物、料理、日常生活はできるが

今日あったことも時々忘れてしまうので

彼女は、孫の変化を察しそれを私に伝えることができなかったようだ。




彼女は私と居る時は、何故か昔のしっかりした普通の母に戻る。だから

私はこんな状態になっていることに気が付けなかった。

このころ私は東京まで電車で片道1時間半かけ

知り合いのお店でヒーリングのお仕事を少しずつ始めていた。

お仕事は順調で楽しかった。お客様も少しずつ増えてきていた。




ある日私が仕事から実家へ帰ると、

母がひとりで庭に座って無心に草むしりをしていた。

既に外は暗かった。私は母の異変に気が付いた。

母から訳を聞き鬱が進行していた息子から出ていけ!とののしられ

自分の自宅から締めだされたのだった。



息子と母と3人で何回も話し合った。

もう母と息子は限界だった。二人はどんどん気まずくなっていった。

私と3人の時は2人とも笑顔があった。

でも私がいなくなると2人とも駄目になり状態は悪くなった。




息子はまだまだ学生。勉学しなければならなかった。

悲しくも認知症の母からも出て行って欲しいと泣かれた。

息子は荒れていた。

クリスタルボウルヒーリングのお仕事も順調な2017年の終わり。




韓国へ帰るしかなかった。私は自分の幸せを捨てた。

私はひとりで生きているのではない。

最も身近な肉親や自分の息子を幸せにできなくて何がヒ―ラ―だ!

私のどこにヒーリングのパワ―がある?

ふざけるな!

エゴが私を攻め立てた。

ハートは静かにそれを聞いていた。

”あなたの罪悪感と無価値観が浮上している。。。”




母がひとりで暮らしたいと懇願するので私は息子と正式に韓国へ帰った。

夫はこれまでの自分を反省し息子とのコミュニケーションを計る努力をし出した。

私の家事や雑事を率先してやるようになり

息子のケアもし勉強も見るようになった。

夫は自ら変わった。




とたんに現実は息を吹き返した。

夫は家族と暮らすようになりやる気が戻ってきた。

再び健康になり仕事が増え生き生きし出した。




日本の母は初期の認知症のままだったが

1人に戻り自由でのびのびしたせいか肉体と精神が健康になっていった。

生活はひとりでできた。サポートは私からの毎日の国際電話。




息子は極度の鬱で治るのに時間がかかった。病院で治療を開始した。

でも肉体は健康だったので救いはあると思った。2018年。




息子は韓国に戻り試験を受けインターナショナルスクールに入った。

しかし彼は鬱の為登校拒否になり中学を辞めた。

義務教育だったが公立校へもいかなかった。

息子は反抗期に入った。

拒食症になり鬱はいよいよ悪化した。

病院さえも行かなくなった。

もう背も高くが身体も大きいので無理矢理病院へ連れていけなかった。

薬も飲まず、カウンセリングも受けない。

自殺未遂をするようになった。

ハサミで体中を彼は傷つけた。

家の中も自分も殴りどこもかしこもぼろぼろだった。

そう。私の目の前はぼろぼろだった。

まだ何かが間違っている。ハートは私に伝えた。




私は大好きな日本でのスピの勉強の機会と仕事を奪われ

日本も奪われ、母にも大好きなお友達にも会えなかった。

息子への心配もあり私は日に日に衰弱していった。

でも家族の為に生きなければならなかった。

私は疲れ切り疲弊していた。

髪は沢山抜け落ち、頬の肉は削げ、バストはしぼみ、ヒップは小さく縮んだ。




しかし私の魂は強かった。

私の魂は強い。

こんなになってもけがれを知らない。

美しかった。それが私の唯一の救いだった。

私は自分が人間でないようにその時初めて思った。

これは小さい時、大人になってからも

何度も友達に言われたことだった。

それをまさか自分で自分に感じるなんて思いもよらなかった。




そして何かに導かれ私は韓国で少しずつスピのお仕事を再開した。

私は自分が元気になれる方向へ歩き出した。

そして私はスピの仕事を自分の人生にすることを決めた。

2018年11月にエジプトツアーに参加することに決めた。

エジプト帰国後、以前から繋がっていた女神イシスと本格的に繋がりを得た。




疲弊した私に小さな灯りが灯された。イシスは私を育てる決意をしたようだった。

ホルスの歓喜の為にとイシスは私に言った。

イシスは優しいがレッスンは厳しかった。私はそれだけを見てその全てに応えた。

勿論現実の日常はそれはそれとして淡々とこなした。

息子へはクリスタルボウルヒーリングを始めた。

母親にも遠隔クリスタルボウルヒーリングを伝達開始した。

魂が喜ぶのがわかった。

そしてハートチャクラはよりOPENになっていった。2019年。




2019年の夏至に私自身がリトリートツアーを主催するようにと

イシスによから提案された。

イシスは言った。

まもなく旅はできなくなる。リトリートを経験しておきなさいと言った。

私は彼女の言う意味が良く理解できなかったがリトリートをすることで頭は一杯だった。




大丈夫かな?できるかな?誰も手伝ってくれるひとはいない。場所は何故かアブダビ!

行ったことも見たこともない聖地。

こわごわ実行!集客はすぐできリトリートも大成功だった。

飛行機の手配、ホテル手配予約、海外送金、保険、現地ガイド依頼、現地でのリトリート実施。全ては何の苦労もなくイシスの采配で何一つ落ち度がなく進行された。

始めてのアブダビは、現地下見なしの決行だったが全て上手く運ばれた。




私は無宗教だけれど、この時、こころから神様と宇宙の法則を現実で感じた。

衰弱している私に少しだけ幸せが戻ってきた。これはイシスの強い愛の光なのだと思う。




そう。

私がより良くなるのと同時に

年々、息子も夫もより良くなっている。




息子は再び病院へ通いだし今も定期的に通院。薬を飲みカウンセリングを受けている。

そして息子は昨年劇的に前進した。



アブダビから韓国へ戻ると良い環境の住まいが見つかり急遽ソウル郊外へ2019年に引っ越しした。それを機に新しい町から公立の中学への入学案内のお話がきた。息子はそれに同意したので2020年3月始業式に入学。しかしわずか3ヶ月で辞めた。理由は中学卒検を受験したい意向からだ。2020年の夏に試験アプライをした。2020年秋に受験し合格。そして間髪いれず秋から塾へ通い出した。次は高校卒検に挑戦したいと息子は言った。



今年2021年4月に見事高校卒検受験。先日無事合格通知を手にした。晴れて高卒の学歴となった。そして現在大学進学の予備校へ通う。夫は仕事に忙しく仕事に没頭。時間がある時は息子とコミュニケーションし勉強を教え家事をし料理する。その頑張りぶりは素晴らしい!その中で通信大学に入学し公私ともに充実の様子。彼には生涯息子の良き父親であって欲しい。彼は息子によって彼自身が成長する仕組みなので大いに触発されて欲しい。息子にとって優しくそして大きな愛を持つの父であることを願う。それだけで私は充分。




彼ら二人は2021年に入り物凄く前進した!素晴らしい成長だ!

現実生活での私の周りの人達も私達と同様により良くなっている。

これは私の反射だね?笑。良いこと良い事!




5年前

10年前

20年前の私はどうだったのか?

どんな意識だったのか?

今の私は覚えていない。




多分今の私はまるで違う人物かもしれない。

自分じゃ最初からこの私!

そう思っているけれど。



そしてこの上手く回転している(今のレベルに於)

私の現実を俯瞰して見て見る事にした。

意識して。




すると

結婚のトリック

夫の

良い夫としてのトリックが見えた!




勿論夫に非はない。

これは私の学びであるので。




夫は私に必要な学びを魂レベルの役割として演じているのである。

私と夫のこの関係性が何の学びのためにあるのかを私は見た。

常にこのように自分の今している体験が何をもたらそうとっしているのか?

を静かに考えると自分の未来は透けて見える。

そしてどんなことも感謝に変わる。

自分の態度は変わる。





私はそれが見えたとき

いろんなものがするすると解けた。

難解の数式が解けるように

それは美しいものだった。




この結婚の契約において(生まれる前に決めた青写真)

私のやることはまだあるけれど

それもそろそろコンプリートする。

だからその先は私が自由に選択できる。

新しいひとがお迎えが来る。

私はエスコートを受けて新しい選択へと進む。

その準備だけを私は日々積み重ねる。

これが間違っていなければそれはやって来る。

いつかはわからないけれど。

必然は突然やって来るので毎日手を抜かず準備万端でいたい。




このトリックが見えた時点で

私のこの試験に合格した!

次はこの章の卒論を書いて卒業すれば良い!

まだ少し時間は必要だけれどね。




それは何故?その理由も今の私にはわかる。

”全ては熟さなければそれはやって来ない”のだ!




期が熟すのを待つのか?

自分が熟すのを努力するのか?

それも自分でわかる。

笑。




人生は面白い!

トリックが見えると

謎は謎でなくなる。

問題は問題ではなく

目標地点になる!

ブラボー!




難しいと頭を抱えるうちは

まだ其の問題に自分がどっぷりと浸っているからだ。

我慢のための大きな努力は常に必要ない。




努力とはそれを行動する時の集中力と

願いを叶えるまでの諦めないと言う継続力と

それに気ずくまでの忠実なレッスンの粘りず良い意欲だ。




結婚は

安らぎと成長と自由が

お互いの支えと助けにより

バランスよくできると最高だと思う。

そしてそれは常に

純粋な本当の愛から生まれたものであることだ。

ここ重要!

笑!




愛について学ぶ時

全ては

赤裸になる。

全ては明らかになる。

嘘は要らない。

笑。





Asuhi Yahiro

Sound, Light, Peace, Unconditional love, Compassion, Forgiveness, Gratitude,

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