VOL.167 全ては私の栄養になる
最新YOUTUBEのいいね♡が
何故か突然
21いいね♡から13いいね♡へ減った。
これって
”よく聴いたら下手だし好きな音じゃなかった”
の意味のキャンセルなのかな?
がっかりだわ~涙
21あったいいね♡はけして多い数字ではないけれど
同じくらいの時間と日にちで合計8人も
キャンセルするってどう言うことかしら?
キャンセルした8人は同じ人なのかな?
8人分のアカウントをもつひとが
一気にキャンセルしたのかな?
または2~3人によるキャンセルかしら?
世の中、いろんなひとがいるけれど
私の音に関心あるひとにもこーゆーひとがいるのね。。。
って言うか
私の音に興味がなくなったからキャンセルしたってことよね?
でもどんな意図があってそんなことするのかな?
一度つけたいいね♡に対してその場での取り消しではなく
数日後にまた戻って来て、取り消しにするのってどーゆー意味だろう?
私には理解できないけれど。。。
それも自由だから仕方ないね。。。
音は巡り合い。
私は個人的には希望がない限り
他者へYOUTUBE更新のお知らせはしない。
私は自分のソーシャルメディアと
ブログで更新のお知らせをするだけ
だって、毎回メルマガみたいに更新のお知らせ配信が来たら迷惑でしょ?
それが自分に来たら2~3回は付き合うけれど以降は厭だな。
負担だからブロックしちゃうかも。
もし気に入れば登録するから自動的に更新のお知らせがくるしね。
だから私は
最新YOUTUBE更新のお知らせは
ブログとFbとインスタで告知して終了。
公にて告知はしてるけれど
誰も聴いてくれないなぁ~~~
いいね♡は全く増えない。
家族親戚縁者は誰も聴いてくれないし
日本と韓国の友達も
同じスピ仲間も
お客様も私の歌と作品に関心ゼロ。
ライトランゲージを喋りたい人はいるけれど
他者の音を純粋に聴きたがる(音楽の様に)ひとは実は少ないよ。
それは好きな音じゃないって言う意味かな?
うん。それならしょうがない。
ライトランゲージとクリスタルボウルのファミリ―は
誰も私のYOUTUBEへ来ない。
聴いてみようかな?と思ってくれるひとは誰もいない。
こーゆー時
友達って?何?
と私は考える。
だから私も無理矢理
友達だと言う理由だけで
ファミリーである彼女達のYOUTUBEチャンネルを
訪問する事を辞めた。
彼女たちの更新を全くチェックしなくなった。
更にいまのところ興味をそそられる音はないようだ。
うん、だからお互い様だね^^
過去の私は彼女たちのイベントにも出かけ
その記事をFBに書き宣伝した。
現実面でも友人として付き合い慕いサポートもした
でも私が彼女たちと同じラインに立った時
彼女たちはそれを私にすることはなかった。
そう。常に期待はせず喜んで奉仕しなさいと
私の内なるキリスト意識は私が子供のころから言い続ける。
はい。判っています。
私の胸がちくんと痛かったけれどみんなそれぞれ自分のことで
必死で精一杯なんだと理解した。
うんうん。
私もそんな時あるから、理解できる。
じゃぁ
私の隣に最後まで残る人は誰なの?
時々そんなことを考える。
少し寂しくなるけれど
進むほどに明確になる自分の進む方向と光
こんなことを繰り返し
元からない自信観は益々低下する。
私は自信満々に見えるそうだけれど
それは常に私がリラックスしているからそう外見的に見えるだけで
私は罪悪感と無価値観の塊。
つまり人間らしい人間なのだ。笑
そんな私だが
自信がないのに創作意欲はどこからか、ふと湧いてくる。
これは小さいときから変わらない。
ギャラリーなしでも反応なしでも
好きなことは好きなまま
ずっと好き。
好きなものは好きなのだ。
嫌いになんかなれない。
だから私に沢山の歌やライトランゲージが降りてくるのかもしれない。
まだ受け取りの感度がいいとは言えないけれどね。
また話はいいね♡に戻るけれど
スピワーク参加者にYOUTUBE聴いてね。と言うと
わかった。と言うけれど
1回か2回の視聴で二度とその人は戻って来ない。
と言うことは
私と私の音は好きではない。と言う事だ。
だから私はしつこくしない。
またそれはできない。
好きじゃないものを好きになれとは言えないし
好きなふりをしろとは言えない。
私のイベントに参加したりワークに参加するのは
その人がそれをするひとに自分もなりたかったからだ。
彼女たちはヒ―ラ―になりたい。
スピでご飯食べていきたいひとなんだと思う。
それは私が好きなのではなく
私の音が好きなのではなく
私の様になりたいのではなく
私をみて
ああ自分もあれになれそう
自分もできそう
自分もやってみたい
自分もできる。
と思ったんだと思う。
それはそれで
私はその人の本当にやりたいことを掘り当て
そこに光を当てる役割を果たしたのだと思う。
最近こんなちょっとした寂しさを体験する入口で
その裏にある隠された光について天使が教えてくれた。
本当はね。寂しいんじゃなくて
その裏にある
光が貴方を待っていたんだよ。と。
天使は真裏に隠れている真逆の解釈の扉に連れて行ってくれた。
それは寂しさではなく
もう一つの世界だった。
みんながこれに気が付けば
悲しみも苦しみも
愛おしくなる。
今ここに真実はあり全てはある。
0コメント